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まるてつの緩和病棟(PCU)徒然なるままに

肺ガン患者ですが、2021年に肺炎を発して入院生活となりました。身近な人への状況報告と、日々思うことを書いています。興味のある方はぜひご一読ください。

作曲家O氏の辞退について

東京五輪は開催日が迫る中、開会式の音楽を担当したO氏が辞任し、O氏が作曲した部分は使わないことになったとのことだ。

辞任の理由としてはO氏が過去にネットまたは雑誌に掲載された中に、障害者に対してのいじめ、虐待と思われることを

手柄のように語っていたことを指摘されたことによるという。

過去に学校などでいじめにあった人には

この人がオリンピックに関わることがたまらなく許せないだろう。

被害を受けたのは、障害を持ったクラスメートだったとのことで、これまたひどい。

報道された内容で許される部分はない。

ただ、彼のこと以外にも疑問を感じる部分はある。

一つは、どうしても報道が彼を叩くことに終始し、事柄の良いか悪いかだけが語られる点である。そしてコメンテーターは、私は違うよ、ときれいごとを言う。それではいつか(きれいごとで世の中が回っていくのなら)差別やいじめはなくなると思われるのだが、人は(私も含めて)差別やいじめの種を持っているのだ。現実として、いじめや差別はある。そしてそれを手柄のように語る人がいる。どうしてなのか?そこを掘り下げて、差別やいじめが生まれる背景に焦点を当てて欲しいと思う。 

二つ目は、彼を報道するマスコミのあり方だ。個人に対し、巨大な組織、会社が

相手となり、一斉に報道する。とても一個人が戦える相手ではない。

これは既に、社会的ないじめの構図がここにできているように思う。正義感を主張するいじめである。

第三は、辞めたからいいの、辞めればいいの?という点である。ここまで内容がひどいと関わるのは難しいかもしれないが、彼が社会の批判を受け、考えを変えました!と言ったときに、今後社会はどのように彼を受け入れていくのか。辞任させてしまうと、そこで終わってしまうことが多いが、それで済む問題でもないと思うので、今後、彼が発信することをしっかり報道してほしい。

私たちは過ちを犯す存在なのだ、と思う。時にそれが、よりひどいことを生じさせる。自分はそんなことは言わないよ、とコメンテーターのように涼しい顔をして言うのではなく、人(個人、集団)がどうしてそのような思いを持ち、行動に走ってしまうのか、そこを掘り下げて

報道してほしい。