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まるてつの緩和病棟(PCU)徒然なるままに

肺ガン患者ですが、2021年に肺炎を発して入院生活となりました。身近な人への状況報告と、日々思うことを書いています。興味のある方はぜひご一読ください。

''私の自我"物語・その変遷について

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読者の皆様は、この欄については多分の遊び心と想像力を使っていただき読んでいただきたい。

無論、「何言ってんの?」と笑い飛ばしていただいても構わないが。 

さて、仕事やその他、自分に限界を感じた私は、長くカウンセリングに通い続けた。最初の頃は頑なだった私も、心開いて話すうちに、段々と心が開かれていった。カウンセラーがしっかりと話を受け止めてくれたことが一番であるが、私にとっても、カウンセリングの形が合っていたように思う。

さて、この欄の本題であるが、カウンセラーと話している間に、私の心にある映像が見えるようになった。

 

〜私は生まれたばかりである。大きな歯車がある。私は木箱に入った藁に寝ている。古びたレンガの壁。そして途方に暮れ泣いている〜

 

半年ぐらいはこのイメージが続いていた。しばらく忘れていたが、間を開けてその映像を見ようとすると、場面が変わっていた。

 

〜私は4、5歳になった。歩いて、生まれた水車小屋を出て、辺りの草原をやっぱり泣きながら歩いている。レインコートのようなものを着て、髪が伸びているので、女の子にも見える〜

 

入院前まではこの映像だった。

ふと、そのことを思い出して、最近はどうかな?と覗いてみたところ、

 

〜私は10歳ぐらいだろう。場面はなぜか日本家屋になり、縁側の物干しのある戸を開けていた。丸刈りランニングシャツ、半ズボンの5、6年生だろう〜

 

今、見えるのはその映像である。

一体、何を表しているのかと思うのだが、私が思うに、今まで押し殺していた

私の自我または抑圧されていた部分が、再び成長を始めて、それがイメージとして見えるようになったのだろうと思う。

ここまで書くのか?書いてイメージに影響しないか?などと思われるが、心の内面の世界であるので、言ったところで変わりはしないと思われる。

まだ、イメージの世界の成長を見られそうに思う。

「何を言っているのかしら?」

もちろん、そう思う方が多いだろうと思うが、たまにイメージの世界で遊んでもらうのも良いかも知れない。

今回はお世話になったカウンセラーに、

敬意を表してこの文を書いた。

 

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