当たり前のようにしていたことが
こんにちは。病と共にいる方、支えているご家族の方、いかがお過ごしでしょうか。
コロナ禍ではありますが、たとえガラス越しでも、春は感じられます。
昨月に肺炎の広がりで治験が中止になりましたが、皮肉にもそれから呼吸のしんどさを直接感じるようになりました。
トイレに行っただけで息が乱れ、生活上の移動がキツくなりました。
風呂に入るのはまだまだ勇気がいるし、病院も館内の車椅子を借りています。
近所のコンビニも公園も、しばらく行っていません。まだ、歳は若いと思っているので、この状況は辛いときもあります。
ただ、今までは理屈、頭の中で状況を納得しようと思っていましたが、それは無理だと思いました。
つらいときは つらいと思って いいんじゃないかと。
やりたいと思うこと、行ってみたい場所はあるし、そして、できれば働きたいし、とにかく、身軽に動いてみたいなぁ!
時に、痛烈にそんな思いに駆られます。
でも、今は残念ながらそれはできません。悲しく、寂しく、孤独を感じてしょうがない。一つだけ思うのは、今はそういう思いを濃縮して、溜めているのかなぁ。じっくりと、40年もののウィスキーのように。