愚鈍物語〜山本周五郎の短編を読む〜
「俺は愚鈍の生まれつきだ。けれど愚鈍にはまた愚鈍で取得がある。『愚の努むるは、堪能の足らざるより善し』というじゃないか。おれは何事でも、ゆっくりと念をいれてやるのが好きだよ」
平山三之丞は家の直しをすると言いながら伯父の加地鶴所に金の無心をし、とうとう父が鶴所に預けた金の残金を渡され、鶴所の娘の美代との破談を言い渡される。
但し、鶴所は幾分か自分の言い渡しに溜飲を下げるが、三之丞は少しも気にせず、娘美代も「今父が申したことは、気にしないでくださいまし」
と、若い世代は流してしまう。
三之丞は家は直さず、借金を求めてくる友人達に全部貸してしまい、雨漏りで腐った家に住む。
鶴所の息子の主水が訪ね、
「それを受け取ってくる法があるものか、それでは父の絶縁の申し渡しを承知したことになるではないか」
三之丞は、
「だめになるわけはない」
主水、「この男はだんだんわからなくなる、世間の者は軽侮している、本当にこの男は愚鈍なのだろうか?」
雨漏りの家に住みながら周囲には持っている金を貸してしまい、世間から軽く思われている三之丞。
ただ、そんな彼は金を貸すのは不用な金を借りる者をあぶり出し、藩を売る人物を割り出す為であった・・
周りから軽く思われ、『愚鈍』の定評のある男。従兄弟からもそうなのか?と疑われてしまう。
そんな彼ではあるが、三之丞にやたらと金を借りる男に疑念を持ち、そのときに九頭龍川の堤が、いつも完成の手前で崩れてしまうこととその男が絡んでいること、その人物が藩を売ろうとしていることを掴み、阻止する。
越前藩、幕府に睨まれているのは義直公で、幕府が義直を嫌い、福井藩を弱体化させる為の企てだと、愚鈍である三之丞がただ一人見破ってしまう。
そして冒頭の言葉につながる。
「愚鈍にはまた愚鈍で取得がある。おれは何事でも、ゆっくりと念をいれてやるのが好きだよ」
少し型にはまった設定かもしれない。
幕府に睨まれる福井藩、義直公の背景がバックにあり、加地鶴所(火事、各所。怒りっぽいから)の息子が主水と対照的。
平山三之丞(平、三の字から平凡な人物?)など、いわゆる滑稽物に分類されるものなので、返って時代物のにおいを強く感じるかもしれないが、設定の形を超えて読み進めていくと、冒頭のような味のある言葉に出会える。
滑稽物の中でも、愚鈍と思われ、周囲に軽んじられている人物が実は深い洞察力と行動をしていた、というストーリーは、形にはまった設定よりも深い世界を書いていて、冒頭の言葉が愚鈍と思われている本人から言わせていることがより味わい深い。やはり書かれた年代、物語の背景から、多少の古さを感じることがあるが、何回か読むことで、時代を超えて共感できる味わいのある言葉が浮かんでくるのである。
文庫本『花匂う』山本周五郎を、イメージを合わせて着物リメイクのブックカバーをかけてみました。ヤフオクで購入しましたが、物語の背景に合わせて。