桑の木物語〜山本周五郎を読んで〜
双子に生まれたため、舟宿に里子に出された悠ニ郎が、生家に戻され若君のご学友に上げられる。
祖父が名家老で粋な人だったので、舟宿に預けられるのだが、舟宿で下町のガキ大将が武家の生家に戻され、武家のしきたりに苦労する悠ニ郎と、未来の君主だが世間を何も知らない若君との出会いがあり、悠ニ郎は若君を下町に連れ出し、世間の風に当てて行く。
周囲は知らないふりをしていたが、そこには悠ニ郎の祖父の意向が働いていた。
悠ニ郎は、藩主の家が歴代短命で、若君も十六で結婚し、跡継ぎを急ぐことに強く祖父に抗議する。
『若君の命より、跡継ぎが大事なのか?』
祖父は答える。
『人は生きた年数だけで長命か短命か決まるのではない』
『土蔵の中で百年生きるのと、市中で三十年生きるのと、その経験したことを比較してみるがいい、どちらが長く生きたかことになるかー悠ニ郎、分かるだろう』
悠ニ郎はそこでは祖父の言うことが分からない。
しばらくして、若君が国に帰ったときに、自分の家系が歴代短命であることに気づいて、気持ちが不安定になる。
そのときに、悠ニ郎は祖父が言った言葉を若君に伝えるのである。
『俺が寿命を早めることになっても、世継ぎを作ることができれば、そのほうがみんなのためにはよい、・・そうではないか、悠ニ郎』
『私は祖父からこのようなことを聞きました』
そして、祖父が言った言葉を繰り返し伝え、
『充実したゆるみのない生活をあそばすとすれば、なすこともなく百年生きるより、はるかに、本当に生きたと申せるのではございませんか。殿にもしものことがあれば、そのときは悠ニ郎もお供を致します・・・』
この言葉から、若君は気持ちを立て直す。そして、悠ニ郎に将来の藩政の右腕になることを言うのだが・・・
ここから物語は大きく動いて行くので、
後は出来れば読んでいただきたい。
ただ、周五郎の小説には時折、このような味のある名言が散りばめられている。
『人は生きた年数だけで長命か短命か決まるのではない。土蔵の中で百年生きるのと、市井の中で三十年生きるのとどちらが長く生きたかと言えるだろうか』
原文を少しカットしているので、良ければ読んでいただきたい。
悠ニ郎と若君の思いもよらぬ将来、物語の展開がある。
武家と舟宿という、まるで違う環境を経験した悠ニ郎と若君の友情。
そうするように仕向けた感のある悠ニ郎の祖父や、周五郎の描く舟宿の人々、若君の成長の中でかけがいのない存在となる悠ニ郎と若君の交流、そして・・の巧みなストーリーが展開する。
その中でも、物語の核となるのが、周五郎の語る名言だろう。
世間を知らない若君が、下町に連れ出されて世の中を知っていく、やや型にはまった設定とも言えるが、それを上記の名言と味のある登場人物が深みのある物語に仕上げている。
『人は生きた年数だけで長命か短命か決まるのではない』
『土蔵の中で百年生きるのと、市井の中で三十年生きるのとどちらが長く生きたと言えるだろうか』
このような名言に時折出会うことができる。
そして私も時折この本を取り出して、口に出してみる。
『人は生きた年数だけで長命か短命か決まるのではない』と。
少しでもそんな言葉に近づいてみたい。