おたふく物語三部作について
山本周五郎氏に『おたふく物語』という短編の三部作がある。
『妹の縁談』『湯治』『おたふく』の独立した三つの短編が、『おたふく物語』という一つの長編を作りあげている。
構成自体に手が込んでいるように思えるが、作者はそのように書いたのではなく、三つの短編として書いた。
発表されたのも、物語の後ろから。
読まれるに従い、一つの長編として読み手に意識され、作中人物の名前が揃えられ、文庫等でも三つが並べられた本が出されるようになった、読み手によって評価され、作品が成長した例のない作品だろう。
私も、新潮文庫でバラバラの文庫から、
ハルキ文庫の『おたふく物語』としてまとめられたものを後から購入した。
長唄の師匠のおしず、しっかり者のおたかの少し婚期に遅れた姉妹。
二人とも目を引く器量持ち。その二人に、あまり近所付き合いのない両親、困り者の次兄の存在がある。
おたかにまたとない話の縁談が持ち上がるのが、物語の一部、『妹の縁談』のスタートである。
おしずは自分がおたふくだと思い込んでいる。
おたかも自分はこんなにガラガラで、姉はのろまで、良い縁談などあるわけはないと言い切ってしまう。
ただ、二人とも自分達をけなしつつも他人のことは悪口を言わず、褒めるのである。
おしずは長唄は上手くない。
名前を貰っても手直しで師匠に手を焼かせる。
しかし、長唄の出来よりも本人が突拍子もない、つかぬことを言い、抜群に話が面白いと、人気がある。
おたかはそんな姉をずけずけと自分が姉のような口を聞く。
幸せな生活に何の支障もないように思える二人だが、縁談を受けられない事情があった・・
と、このような物語の始まりだが、
何が良いかというと、この姉妹の自分達はけなすが、他人は必ず良い人だという心持ちや、おしずの突拍子もない話の面白さ、周りの人とのやり取りの楽しさが絶妙な表現で描かれている。
読み進めるうちに、誰もが姉妹の、おしずのファンになって行くのだろう。
『妹の縁談』では、姉妹が目黒に遊山に行くが、おしずが『目黒の秋刀魚』を
本当に名物だと思い込んでいて、茶店で注文する、そんな一コマがある。
おたかが、それは落語にある話なのだと言っても、おしずは自分がおかしなことを言っているとは思わず、言い返すのだが、しまいには茶店の何十年も笑ったことのない爺さんが吹き出してしまい、おしずのファンになる、そんなくだりがある。
三部読むことでより一層、物語の世界が広がっていくのだが、作者は最初から意図して書いたのではない。読み手から支持されることで三部作として読まれるようになった不思議な作品である。
昭和20年代、30年代の作品である。
古いと言えば古い。
ただ、本を読む面白さは、本を開き、ページを辿ることで、姉妹や姉妹と付き合いのある生け華の師匠とのおかしなやり取り、おしずの抜けてはいるのだが人に好かれるその人物像がありありと浮かんでくる。
いつでも、姉妹がいる世界に行けるのだ。
周五郎氏は、女性の書き方が秀逸だが、おしずにそれが集約されている。
古いと言われてもいい。
周五郎の世界は、言葉が磨かれている。
作品の構成、人物、背景の描写。
雑多な市井の人々が、とてもいとおしく思えてくる。
あまり美しくなかったであろう、江戸時代の街並みも物語の中では美しく思えてくる。
そんな思いにさせる物語である。