橋の下〜山本周五郎を読む〜
若者は果たし合いのため、約束した広場へ行くが、気が立っていたのか、時間を間違えてしまい、家を出たときに一刻(2時間)分早く出てしまったことに気づく。
これでは凍えてしまう、と若者は川にかかる橋の下に火を見つけ、降りてゆく。
そこには、夫婦乞食と呼ばれてはいたが、品の良い老人が居て、若者に火にあたるように勧める。若者は、老人の持ち物の中から刀を見つけた。
火に当たりながら、若者は老人の過去を、果たし合いの末に、妻と退国した上に、この橋の下に落ち着くまでの放浪を若者は聴く。
「あやまちのない人生はつまらないものです…ただあのときの私が、果たし合いの前に一つ息をつくことができれば…」
若者は老人の語る過去に引き寄せられ、
自分の果たし合いは、友達に謝ることで、回避することができたのだった。
やや、ストーリーとしては型にはまった感がしなくもないが、そのような設定の中で、引き込まれてしまう魅力がこの短編にはある。
誰しもが、怒りに任せての失敗があるからだろう。あのときに、一息ついていれば…一周り散歩すれば…怒りに任せてよりも、より賢明な判断が出来るのだ。
老人の語る過去(誤ち)が、若者の果たし合いを止めるのだが、老人の淡々とした語りの中に、人生の何たるかを感じられる。
何か怒りの感情を強く感じたときに、ブレーキとなる一篇である。
新潮文庫「日日平安」所収の「橋の下」
より