買い出し 〜永井荷風〜
面白い短編を読んだ。荷風さんには申し訳ないが、小説が面白いのではなく、その設定があまりに身近だからである。
太平洋戦争の戦中、総武鉄道の船橋行きの車内、沿線でヤミの食料を運ぶ人達の描写から始まる。
船橋で警察の摘発があるらしいとの情報が流れ、手前の駅で降りて様子を見るか、歩いて京成に乗れる駅を目指すかなどを言い合う。中山行きのバスがあるのは木下街道だろう。船橋の2つか3つ前の駅で降りたと書いてあるので、該当するのは馬込沢駅か。鎌ヶ谷駅だと歩くには遠い。塚田駅だと距離的には歩いて中山駅に行くには程よい距離だが、まあ大体そこら辺の話なのだ。
車内は腰掛けられないほど壊れ、人だか荷物だか判別がつかない…
アーバンパークラインの戦中の姿である。
小説は、40台の女と68のお婆さんが途中で会うが、女が昼飯を食べている間に
お婆さんが口から泡を吹いて死んでしまう。女はすかさずお婆さんの荷物から米を取り出し、自分の荷の薩摩芋と替えて、その場から逃げるように去っていく…
そんな話である。女がその松林を抜けるまでは、と一目散に去っていくところに
罪悪感を感じている思いが読み取れるが、そういう短編だ。
今まで、こんな短編があることは知らなかった。ただ、小説の描写から電車の走っている場所や、歩いた人がどの方向を
歩いたかなどが目に浮かぶように分かるのも面白い。
ヤミではないが、昭和のときは行商の人達が電車に乗っていた。今でも、成田線から都内に行く人をニュースで見たことがある。
コロナで、乗客が減り、新幹線で野菜や鮮魚を運ぶことが一時ニュースになったが、何も新しいことでもなく、昔から電車は色々なものを運んでいたのである。
まるてつ
追記
まとめが自分の書きたいことと微妙にズレてしまった。つい最近、子どもから、
「日本はこのまま貧乏な国になるのかな?」と聞かれたことを思い出した。
確かに、国の勢いなどを考えるとそうかもしれないが、戦中、そして戦後の復興期はこの総武鉄道の車内のように、人か荷物かよくわからない…のが日本の姿だったのではないか。
そう思うと、多少国が貧乏になろうが、
そんなにがっかりすることもないのかなと思ったりもする。
問はずがたり・吾妻橋 他十六篇